ガイド紹介

「ガイド」

成田賢二   

日本山岳ガイド協会認定山岳ガイドⅡ

(株)Mountain Works所属。

1982年山梨県北巨摩郡(現北杜市)生まれ。

 大阪外国語大学(現大阪大学)中退後に帰郷、山登りとクライミングの世界へ。

   2008年よりガイド業。雪山、クライミング、源流釣り、狩猟、BCスキー、カヤックなどいろいろやっています。

   2015年頃より夏は沢登りと源流に専念しています。

   2016年、雪崩事故により休業、多くのことを学びました。

   古民家で子育てしつつ、米野菜を作りながら適当に暮らしています。

  難しすぎず易しすぎず、静かな山登りが好きです。

   春は山菜、夏はタープで焚火、渓流で冷やしそうめん、秋は松茸採り、冬は猟、テントで鍋。混んでいる山と混んでいる山小屋は苦手です。お酒はあまり飲めませんが、美味しいものは好きです。

山のこと以外では歴史、民俗、植物、地質、環境問題などにとても興味があります。

   登山を旅のような雰囲気でゆったりと味わえるよう、春夏秋冬の季節感を添えた演出をいつも心がけております。


  様々な経緯から山岳救助や遭難捜索にも深く携わっています。行方不明になった登山者を探すことはライフワークだと考えています。

   山でしなやかに生き長らえるコツみたいなものを日々、探しているのかもしれません。全ての人に対して平等で、穏和で、ときに冷酷な「山」というものに、なにか信仰のような気持ちを近年は抱いています。

不定期で連載をやっております。


「霧の旅」の由来

「霧の旅会」は中学校教師であった松井幹雄が中心となって1919(大正8)年に設立され、1944(昭和19)年頃解散した。会の創立当時、日本アルプスの登山の大半は地形などの情報や設備が乏しいこともあり、ガイドや人夫に地元猟師を雇い行われたため、大変な費用がかかり、金と暇のある上流階級のものであった。松井らは社会人でも1日~2日の山旅を楽しもうと、低山に活動を絞った「霧の旅会」を結成した。当初4人で出発した会は、予期に反して多くの賛同者を得て大きく伸びていった。会員達による書籍も多く出版され、それに啓発された社会人の間に低山の登山が盛んになっていった。会の中心には文筆家の河田楨、尾瀬の紹介とその保護活動で知られる植物学者の武田久吉、詩人の尾崎喜八、登山家の木暮理太郎など著名な人達も名を連ね、文筆を通じての連帯も強かった。松井の急逝後もこれらの人々によって会は維持された。創立当初から発行された会誌「霧の旅」は、山の文芸誌として広く読者を集めた。

Photo by 
Kenro Nakajima
Shota Hora